- ■KUKUL
- 1969年にフレドリック・バルトは『エトノス集団(エスニック・グループ)と境界』をあらわし、エスニック・バウンダリー論を主張した。かれはエスニック・グループを、相互作用の中で相手と自己を差異化する場とともに生起する帰属意識をその本質であると規定した。このとき、エスニック・グループの間の差異は、社会的に維持される相互作用の「場」であって、客観的・物質的な境界が存在する必要はないとされた。 このエスニック・グループの概念は国家の中の少数派諸グループを語るものとして七十年代に一般化した。しかし出自意識を伴う文化的マイノリティ・グループをエスニシティとして規定すると、同じ論理でネイションの多数派グループもまたエスニシティとして規定されることは避けられない。こうして、エスニシティ概念は、マイノリティ・グループばかりでなく、多数派にも、また国家を横断して存在するグループにも、次第に広く、文化的共通性と帰属・出自意識に基づく集団に援用されるようになった。 日本語の民族は、訳語としてはnationに由来しながらも国家の存在を前提としないため、多くの場合には、このような意味でのエスニック・グループと一致することとなった。 古典的な文化人類学のモデルにおける文化=習俗集団は「歴史を持たない」、「安定して孤立した」、社会として、自己完結的なシステムをなす共同体としてイメージされることが多かったが、エスニック・グループ研究の知見からフィードバックされ、従来のそうした無文字社会もまた、動的な相互作用の中で、むしろアイデンティティ意識によって成立していて、「本質主義的」な規定の困難な面もまた存在することが明らかになった。とはいえ、環境に適応して分化した生活様式という従来言われたような意味でのエスニック・アイデンティティの「基盤」がまったく無視できるということではない。 ベネディクト・アンダーソン(Benedict Richard O'Gorman Anderson, 1936年-)は、コーネル大学政治学部教授。専門は、比較政治、東南アジア、とくにインドネシアの政治。 中国雲南省生まれ。ケンブリッジ大学で修士号、コーネル大学で博士号を取得。1965年からコーネル大学で教鞭をとる。 著書『想像の共同体』では、出版資本主義、巡礼、公定ナショナリズム、モジュール化といった概念を駆使し、いかにしてナショナリズムあるいはネーションが構築されるかを明らかにし、ナショナリズム研究の新境地を開拓した。2000年には第11回福岡アジア文化賞学術研究賞を受賞。『想像の共同体』は、日本語やフランス語、スペイン語、中国語、トルコ語の諸言語に訳されている。 弟のペリー・アンダーソンも西欧マルクス主義の代表的研究者として知られる。 スイス連邦/スイス誓約者同盟(スイスれんぽう/スイスせいやくしゃどうめい)、通称スイスは、ヨーロッパにある連邦制共和国。永世中立国、直接民主主義国家である。ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置する。国内には多くの国際機関の本部が置かれている。 連邦首都はベルン市。主要都市は、チューリヒ、バーゼル、ジュネーヴ、ローザンヌなど。 スイス連邦の正式名称は4種の公用語で定められているが、硬貨や切手などのように4種を併記する余裕がない場合に単独で使用することが許されるラテン語の国名(Helvetia)が定められている。 ドイツ語での正式名称にある“Eidgenossenschaft”は「誓約者同盟」という意味で、通常の「連邦」(Bund)とは異なる。 公式の英語表記は Swiss Confederation、通称は Switzerland(スウィツァランド) である。 日本語表記はスイス連邦、および、スイス。漢字による当て字では瑞西と表記し、瑞と略す。稀にドイツ語の正式名称から「スイス誓約者同盟」という訳がなされることがある。 国名は、スイス建国の中心的役割を果たしたシュヴィーツ州に由来する。“Schwyz”(シュヴィーツ)は、古代ドイツ語で「酪農場」を意味する語が訛ったものだとされる。日本語表記の「スイス」はフランス語名“Suisse”(スゥイス)または英語形容詞の“swiss”に由来する。ラテン語名「ヘルウェティア」は、古代ローマの支配が及ぶ前からベルン周辺に住んでいたケルト系先住民族の部族名・ヘルウェティー族に由来する。ドイツ語辞書によると「スイス人」を表す“schweizer”(男性名詞)/“schweizerin”(女性名詞)には「熟練乳搾り人」「教会堂番人」「ローマ教皇の近衛兵」、さらに「スイス製チーズ」の意味も含まれる。 1291年8月1日、ウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの原始3州が、既得権益であった自由と自治を守るため、盟約者同盟 (Eidgenossenschaft) を結成。この日が、スイス建国の日とされている。1315年、モルガルテンの戦いにおいて、農民兵で構成される同盟軍が、ハプスブルク家の精鋭部隊に大勝する。その後、加盟州を増やしていくが、各州間では宗教改革などをめぐって争いが絶えなかった(第二次カッペル戦争など)。1648年、ヴェストファーレン条約によって正式に神聖ローマ帝国からの独立を達成。 1798年、フランス総裁政府からの強力な圧力を受け、傀儡国家のヘルヴェティア共和国が成立する。近代憲法に基づく中央集権国家であったが、スイスの国情に合わず1802年に瓦解。翌1803年、ナポレオンの仲裁により従来の盟約者団が復活。1815年のウィーン会議で、国家としての「永世中立国」が認められた。 1848年に連邦憲法を制定したが、国家連合としての性格が強かった。連邦国家体制が確立するのは、1874年の改正連邦憲法以降のことである。 第一次世界大戦でも武装中立を維持したため、1920年には国際連盟の本部がジュネーヴに設置された。続く第二次世界大戦でも、フランスの降伏により四方を枢軸国のドイツとイタリアに囲まれながら、アンリ・ギザン将軍の指導のもとでなお武装中立を維持していたが、戦後になって中立違反についての多くの批判を受けることになった。第二次世界大戦後に設立された国際連合には、その設立の経緯から見て公平中立な国際機構とは言い難いことと、それに加えて国際連盟での苦い経験もあって、半世紀以上の長きにわたって加盟していなかったが、2002年9月10日に国民投票の結果を受けて190番目の加盟国となり、永世中立の国是が大きく揺らぎ始めている。 新たな連邦憲法が1999年に採択され、2000年1月1日に発効した。 スイスは、連邦国家であり、連邦議会(独: Bundesversammlung、英: Federal Assembly)を最高機関とする議会統治制、つまり立法府が行政府を兼ねる統治形態を執っている。連邦議会は両院制で、国民から選挙で選ばれる200議席の国民院(独:Nationalrat、英:National Council)と州代表の46議席の全州院(独:Staenderat、英:Council of States)から構成される。 立法府が兼ねる連邦政府(内閣)は、連邦議会から選出される7人の連邦参事で形成される合議体である。内閣はドイツ語圏の諸国と異なり連邦参事会(独:Bundesrat、英:Federal Council)と呼ばれる。7人の連邦参事(7 Bundesraete)がused truck を統括し、その中の1人が連邦参事兼任のまま任期1年の連邦大統領となる。連邦議会の議場と連邦政府の各省庁のオフィスはともにベルンの連邦議会議事堂 Bundeshaus(連邦院とも訳される)の中にある。大統領の権限は儀礼的なものに限られる。 国民の政治参加に関して、国民発議(イニシアティヴ)と国民投票(レファレンダム)という、直接民主制の制度が憲法上認められているのも大きな特徴である。 2007年に行われた国民院議員選挙では、移民排斥を主張しているスイス国民党が62議席を獲得し、第1党になった。以下、スイス社会民主党 (de) (en) が43議席、急進民主党が31議席、キリスト教民主人民党が31議席、緑の党が20議席、その他13議席となった。 スイス憲法は連邦政府に委任すべき事項を規定している。憲法に規定のない事項については州政府が主権をもつ。例えば参政権の規定は州政府に主権があり、1971年に憲法で婦人参政権が確立したのちも、1990年に至るまでアッペンツェル・アウサーローデン準州では婦人参政権が制限されていた。憲法改正は容易であり、10万人の改正要求があった場合は改正提案に対する国民投票が実施される。 憲法改正が多い国で、過去140回以上にもわたる改憲を行っている。 スイス連邦では、連邦政府、州、市町村の3段階の行政組織が課税権を有している。税率は平均20%。それぞれが独自に税率を設定できるため、個人の税率を低く設定して外国の富裕層の取り込みを図る州もある[1]。 法人税についても優遇措置をとっており、used trucks から本社をスイスへ移転する企業がある。そのため、OECD(経済協力開発機構)の有害税制リストにリストアップされている[1]。 スイスの民兵スイスは武力によって永世中立を維持してきた重武装の国家として知られる。正規軍は近代的で高度な装備を有する。同時に多数の成人男子が予備役もしくは民間防衛隊(民兵)として有事に備えている。軍事基地が高い密度で存在する上、岩山をくりぬいて建設されるなど高度に要塞化されており、主要な一般道路には戦車侵入防止の為の装置や、小屋に擬装したトーチカが常設してある。 国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。20-30歳の男子に兵役の義務があり女子は任意である。スイスの男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭には自動小銃と銃弾(将校等は自動拳銃も含む)が支給され、各自で保管している。さらに対戦車火器や迫撃砲など、より大型の武器が地区単位で設置されている武器庫に収められている。これらの支給火器が犯罪に用いられることはごく稀である。 近年、国際貢献を前提とした軍のプロフェッショナル化のため、徴兵制を廃止する法案が3回、国民投票にかけられたが、いずれも否決されている。 政府によってスイスの一般家庭に配布された小冊子『民間防衛』の内容からもうかがい知れるようにスイス国民はあまねく有事に備えている。政府が食糧を数年分貯蔵していたり、学校にも緊急避難用のシェルターが装備されている。 スイス軍は陸軍のみであるが、航空隊(空軍)、船舶部隊(水軍・海軍とも呼ばれる)も保有する。 第二次大戦中における航空隊は中立義務を果たすため領空を侵犯する航空機を連合国側・枢軸国側を問わず迎撃した。 船舶部隊は主に国境をなすレマン湖(ジュネーヴ湖)とコンスタンス湖(ボーデン湖)に配置されている。10から20隻の哨戒艇が主力であるが、有事の際はライン川を遡行する大型商船を徴用し、武装する予定となっている。 軍事的な自立を高める為に兵器の国産化にも熱心である。かつてはused trucks for sale や航空機も国産していたが多くの国と同じように開発費用の高騰で断念した。一方で小火器や装甲車は依然として高い国際競争力を持ち世界中に輸出されている。銃器のシグ社製品やピラーニャ装甲車等が有名。 国防の基本戦略は、敵国にとって仮に侵略が不可能でないとしても、侵略のメリットよりも損害の方が大きくなるようにすることにある。2002年の国連加盟後もこの基本戦略は変わっていない。 主な産業は、観光業、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業、金融業(銀行、保険)。 CIA The World FactBookによると、国民1人あたりのGDP(国内総生産)は、$32,300(2005年推定値)。日本は、$31,500(2005年推定値)。 通貨のスイスフラン(CHF)は、金よりも堅いと言われるほどの世界で最も安定した通貨であり、1870年代の硬貨が未だにデザインも変更されずにそのまま製造され、流通している。国内の物価および賃金水準は高く、国民の貯蓄高も、日本並みに高い。輸入関税率は低く、高級外車などが比較的安く購入できる。スイスの欧州連合 (EU) 加盟の賛否を問う国民投票において、国民の過半数が反対票を投じる重大な理由はここにある。すなわち、スイス国民にとってEU加盟は何らメリットが見出せないのである。 スイスフランの利子率の低さに目を付け、used truck for sale 欧を中心に、フラン建ての住宅ローンが多く組まれている。このため、もしスイスフランが不安定となると、他国の家計にパニックを起こすリスクが生じている[1]。 近世に至るまでスイスの主な産業のひとつとして存在したのが傭兵であった。 スイスはその地形から農業などの産業を発達させにくかったため、戦力を輸出することで産業不足を補っていた。 現在は戦力の輸出は禁止されているものの、例外的に認められているケースがある(バチカンの傭兵)。