■おてつだいネットワークス
なかでもケインズは「自由放任の論拠とされてきた形而上学は、これを一掃しようではないか。持てる者に永久の権利を授ける契約など一つもない。利己心がつねに社会全体の利益になるように働くというのは本当ではない。各自別々に自分の目的を促進するために行動している個々人は、たいてい自分自身の目的すら達成しえない状態にある」と述べ[6]、アダム・スミスに由来する「見えざる手」に信頼する自由放任論からの脱却を求めるとともに、具体的には不完全雇用均衡からの脱却のための経済政策が、政府によって実現されることを求めた。 こうして、大恐慌を代表とする「市場の失敗」とニューディール政策などの革新主義運動を経てアメリカでは民主党などに代表されるように、自由を実質的に実現するためには、その現実的制約となっている社会的不公正を政府によって是正しなければならない、というアイザイア・バーリンによって分類された「積極的自由」を重んじる(他からの不干渉というのにとどまらず実質的な自己決定、自己支配が達成されなければ、形式的自由には意味がないという)思想がリベラルのなかで優勢となった。 しかし、20世紀後半、石油危機後の低成長時代を迎え、スタグフレーションや財政赤字といった問題が深刻化する中、従来のリベラリズムに対する批判が経済学のシカゴ学派から始まり、福祉国家の見直しや国営企業の民営化、規制緩和を志向する新自由主義が優勢となった。その後、1980年代の新自由主義への対抗から、小さな政府と大きな政府との中道を模索し、市場を重視しつつも国家による公正の確保を志向する第三の道が1990年代に台頭した。2000年代の今日では、グローバル化の進行に伴い、市場を自由化しようとするリバタリアニズムや新保守主義とどのように対応していくかがリベラリズムの課題となっている。 現代の自由主義としてのリベラリズムに関する議論としては、「自由」に対して普遍的な価値を認めるリベラリズムの普遍主義が、リベラリズムを否定する価値をも包摂しうるバーリンなどの価値多元論との整合性をもたないという批判[7]、FX 的自由に基づく自己決定の推奨が、消極的自由を重視する古典的な自由主義の立場から見て、一種のパターナリズムにあたり、ことに所得再配分のための私的所有権に対する規制を、かえって自己決定の余地を狭めるもので、政府の恣意的な干渉と捉えるノジックらのリバータリアニズムからの批判、人格の有する諸属性は本質的なものであって、ロールズの想定する偶有性は、無意味な仮想であり、リベラリズム的な個人主義が、家族や地域などとの紐帯を欠いた負担なき自我にすぎないというサンデルらの共同体主義からの批判がなされており、リベラリズムの側からのロールズによる反論もなされている。なお、リベラルという語が、本来的な中道左派思想としての社会自由主義(英:Social liberalism)を超えた広がりを現在では有していることから、広く左翼的と観念された思想として批判を受けることもある。 排外主義(はいがいしゅぎ、ショーヴィニスム)とは、外国人や外国製の商品、思想を排斥すべきだとする立場。ショーヴィニスムと言う名前の由来は、石版画と戯曲に登場し、ナポレオン・ボナパルトを崇拝したとされるフランス兵のNicolas Chauvinから。民族主義の偏狭性が噴出した主義である。 排外主義が発生する要因は主としてくりっく365 的な経済不況や政情不安によるもので国民の不満のはけ口を国内の外国人移民に向ける事が多い。排外主義の類義語として好戦的愛国主義(ジンゴイズム)と言う言葉もある。 嘗ては全体主義国家が国策として排外主義を煽り、国内の社会的少数者を国外に追放した事例もある。20世紀にはナチス・ドイツやソビエト連邦、ポーランド(ピウスツキ政権)、フランス(ヴィシー政権)などが反ユダヤ主義を煽り、ユダヤ人追放政策を実行した。 現代は移民や外国人労働者を数多く受け入れている国家で排外的な主張が唱えられており、欧州では各国で極右政党も台頭している。「邦人が外国人に仕事を奪われた事」や「外国人犯罪が激増した為、治安が悪くなった事」によるものである。 日本においては、在日コリアンや在日米軍・在日米兵への排外主義が言われることがあり、犯罪率の高さや「犯罪を起こし日本を貶める不良外国人」として彼らの国外追放などを唱えている。前者の場合は右翼側から、後者の場合は左翼側から主張されることが多い。 韓国・北朝鮮・中国でも、日本を「チョッパリ・ウェノム」「日本鬼子・小日本」などと揶揄、軽蔑する言動が見られる。 民族主義(みんぞくしゅぎ)は自らの民族を政治、経済、文化などの主体と考え、価値観の至上とする思想や運動。マイノリティによる民族主義は、少数民族、先住民族が自らの言語、文化、宗教などの維持存続を求め、民族自決の主張をともなうこともあるが、一方で分離主義など、戦争、紛争の要因ともなる。 国家主義、愛郷主義、地域主義とは相互に関連するが、同一の概念では無い事に注意。 一般に誤認されがちな事だが、本来の民族主義は国家ではなく民族を中心に考える思想である。国家主義と結び付くのは民族主義の理念から民族を政治的に一つにしようとする運動が起こりやすいからで、逆にアメリカやユーゴスラビアのように国家を多民族によって形成する国では、むしろ各民族主義と国家主義は対立する。特定の民族を優遇する多民族国家(フランコ政権下のスペインなど)の場合は、その優遇された民族の民族主義を支持基盤にするが、当然弾圧される側の民族主義とは対立する。愛国心よりはむしろ郷土愛(愛郷主義)との親和性が強いとも言われる。 一方、英語では愛国主義と民族主義はNationalismと表記され単語としての違いはない。世界的にみても、20世紀に民族自決の原則が唱えられてから、この二つの言葉の意味の違いは減少する方向にある。しかし国内に多民族を内包する国は依然として多く、各地で少数派民族の独立運動が激化している。特に冷戦終結以降の欧州では地域主義の推進などで、より小さな民族集団に分かれて争う傾向が深まっている。 排外的な民族主義が嵩じると単一民族による国家の形成・純化・拡大を主張し、対外的に自民族との差異と優越性を主張することがある。大国にあっては近隣諸国の自民族居住地域などの併合、少数民族にあっては分離独立などを主張し、しばしば戦争や紛争が生じる。自民族居住地域が近隣にない場合も、領土を併合する前や後において、被支配民族との近縁性、一体性(日鮮同祖論など)を強調することで正当性を主張する場合もあるが、これは民族の純化という点からは遠くむしろナショナリズム的な動きと言える。 ナポレオン戦争によるフランスの支配下、こうした概念に触れたヨーロッパの各国民は民族主義を高揚させた。アジアにおいては、日露戦争が同様の役割を果たしており、日本への期待を生んだ。第二次世界大戦後には、多くのアジア・アフリカの国家が民族主義を高揚させて独立を果たした。 日本では水戸学、国学の影響を受けた尊王攘夷運動として現れ、民族の独立維持に寄与した。その後、1930年代に国家主義的傾向が強まり、太平洋戦争でピークに達する。敗戦後、その反省から戦前的な民族主義はタブーとなる一方で、(列強からの自立を目指す)アジア・アフリカの民族主義には情緒的な共感が寄せられた。 公民 (こうみん、英 citizen) とは、政治に参加することができる人々のことである。市民、国民、住民、人民などの単語と似たような意味を持つが、それぞれの区別に注意を要する。 政治への参加の意味合いから「市民」と言い換えられることも多いが、厳密には参政権、特に選挙権や被選挙権があることをもって公民と呼ぶことが多い。このため、ほとんどの公民という言葉は、市民におきかえることが可能であるが,市民は多義的であるため,特に上記意味を強調したい場合には公民と呼ぶことがある。 なお、中華民国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国では国民、国籍者の意味で憲法上公民という語が使われている。 公民(こうみん)とは、古代日本律令制における統治対象とされた一般の人々を指す。倭訓は「おほみたから」。公民は戸籍に編入され、口分田が班給され、課役を賦課された。 ただし、中国(唐)には「公民」という言葉が存在せず、日本の律令法にも直接「公民」について規定した法規は無い。元は倭国王やヤマト王権に直属する民のことを指し、臣や連、伴造などの豪族が支配する民や百八十部と区別されていた人々を指していたと考えられている。日本における「公民」の語の確実な初見は『続日本紀』に引用された文武天皇即位の宣命である(記紀にも「公民」の語は見られるが、後世の脚色の可能性もある)。以後、「公民」という言葉が記録上に見られるようになる。 一般的に律令制を「天皇が全ての土地と人民を支配する体制」として、公地公民制と呼ばれることが多いが、その典拠とされる改新の詔において使われてる語句は「百姓」である。また、公民とともに皇親や諸臣(官人)、五色の賎が併記されて「公民」の範疇から除外されており、「全ての人民」が公民であったという表現は誤解を招きやすい表現であると言える。また、国家に直接租税を納めない封戸・神戸などの人々や戸籍に記載されず、租税を納めない浮浪や蝦夷・隼人の人々も公民には含まれない。更に官人や皇親をも念頭に置いたとみられる「公民」という表現例もあり、その用法も一定ではなかったようである。