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日本では「憲法(独Verfassungsrecht)」と呼ばれる科目であるが、ドイツでは通常「国法(独Staatsrecht)」と呼ばれる。国法とは、1.国家の基盤を規律する法規範、2.最高国家機関の構造と活動を規律する法規範、3.市民の国家に対する権利を規律する法規範を総称する概念である。日本の憲法学が、対象を、1.総論、2.統治機構、3.基本的人権の三つに分けて論じるのと趣を同じくしている。なお日本でも、一部で「国法学」の語を用いることがあるが、憲法学のなかで解釈法学的でない部分、あるいは比較憲法論のような内容に重きをおいていることが多い。 憲法の概念を整理したものでもっとも有名なものは、カール・シュミットの『憲法学』(Verfassungslehre)であろう。彼は、憲法の概念を、絶対的な意味、相対的な意味、実定的な意味などに区別した。絶対的意味とは、更に細かく、1.公共体の秩序そのもの、2.国家の政治体制、3.国家の統合のあり方、4.根本規範を区別することができる。1.〜3.は、上記の事実的な意味に相当する。特に、3.は、ルドルフ・スメントの統合理論に依拠した憲法概念であり、戦後の憲法学に大きな影響を与えた点で注意を要する。次に、相対的な意味とは、形式的な意味の憲法(後述)、すなわち、憲法と呼ばれる文書を指す。第三に、実定的意味の憲法とは、憲法制定権力により行われた政治的な根本決定を指す。監視カメラ によりつくられた権力(憲法を改正する権力)は、この根本決定に反することはできない。つまり、このような根本的決定は、相対的憲法においては、改正禁止条項として現れるとされる。 英米保守思想においては、「憲法制定権力」というものは伝統的な「法の支配」を破壊し、国民の自由を侵害する虞のある概念であるとして、排斥の対象となっている。 通常、憲法というセミナー により指されているのは、規範としての「憲法(Verfassungsrecht)」である(事実的な意味の憲法を指す場合には、「国制」「政治体制」などという語を用いるのが一般的である)。日本で普通に行われている分類は、憲法を実質的な意味と形式的な意味に区別するものであり、ドイツの通説を受け継いだものである。 実質的意味の憲法とは、内容により憲法かそうでないかを区別するものである。すなわち、国家の根本・基盤に関する法規範は、すべて実質的意味の憲法に含まれる。 形式的意味の憲法とは、形式的な標識によって憲法かそうでないかを区別するものである。すなわち、憲法という形式を与えられた文書(憲法典)を指す。形式的意味の憲法をもつのが成文憲法の国であり、これがないのが不文憲法の国である。 両者の憲法の意味は必ずしも重なるわけではない。例えば、議会法などは、国家の根本・基盤に関する法規範であるから実質的な意味では憲法に属するが、形式的な意味では、「憲法」という名を持っていないので、憲法ではない。連合王国は「憲法」と呼ばれる文書がないから、形式的な意味では憲法が存在しないが、実質的な意味では、議会法、大憲章(マグナ・カルタ)などの憲法が存在するのである。 形式的な意味の憲法に含まれるものの実質的な意味の憲法に含まれないものとしては、「出血前に麻酔させることなく動物を殺すこと」を禁止したスイス憲法旧25条の2がしばしば引用される。 実質的意味の憲法の概念がなぜ必要かということを説明するためには、トラック買取 の対象は何かということを考えてみればよい。憲法学とは国家を法的に認識する学問である。このとき、「憲法」という名前がついていないという理由で、例えば日本においてであれば皇室典範・皇室経済法・国会法・内閣法・地方自治法・裁判所法・国旗国歌法などを対象から外してしまったら、国家を法的に(少なくとも正確に)認識することはできなくなる。つまり、実質的意味の憲法とは、憲法学の対象を画する概念である。この結果、憲法の法源は、ひとり憲法典のみではないことになるのである。 実質的意味の憲法に着目したとき、統治の根本規範という意味での「固有の意味の憲法」(用語法として不適切との説もあるがすでに定着している)は洋の東西・時代を問わず存在するものであるが、その中で特に、西欧近代において現れた憲法の概念というのも存在する。これが、立憲的意味の憲法である(立憲的意味を有しない固有の意味の憲法としては、前近代のフランスにおける王国基本法などが典型としてあげられる)。カール・シュミット的にいえば、理想としての憲法である。これは、権力分立や人権保障など特定の理想・価値を謳うものしか憲法として認めないという態度であり、特にフランス革命でアンシャン・レジームを打倒するイデオロギーとして機能した。もともと西欧近代に特殊であるこれらの価値が、他の文化圏の西欧化によって、今日では、これらの価値はいくぶん普遍性を帯びるようになってきている。日本でも、近代化に伴い、これらの包茎 を明治期以来継受した。現在では、少なくとも、権力の集中よりも権力の分立が優れた統治体制であり、また、人権蹂躙よりも人権保障のほうが優れた統治体制である、という程度のコンセンサスは成立しているものと思われる(これは必ずしも当然のことではない)。しかし、全面的な西欧近代価値の受け入れには、明治期以来、批判的な見解も根強く存在し、それは、紛れもなく、法とは社会の規範意識であるという一面の表れである。日本国憲法など現在の主な憲法はほぼ全て立憲的意味の憲法であるとされる。 成文憲法(成典憲法) 憲法が法文により記されているもの。諸外国の一般の憲法はこれにより規定される。 不文憲法(不成典憲法) 憲法が法文により記されていないものや一つの憲法典としてまとまっていないもの。 硬性憲法 憲法改正手続に通常の法改正以上脱毛 な手続を要求する憲法。日本国憲法、ドイツ連邦共和国基本法がこれに属する。 軟性憲法 憲法改正が通常の法改正と粗大ゴミ の手続で行いうる憲法をいう。 制定の主体に着目して憲法を分類することもある。 欽定憲法 君主の名の下に制定された憲法(大日本帝国憲法など)。 民定憲法 国民主権に基づき、国民が直接統治するか、または国民の代表者を通じて、国民の名の下に制定された憲法(現在の日本国憲法が民定憲法か否かは争いがある)。 協約憲法 君主と市民が協働して制定する憲法。 条約憲法 連邦国家の憲法がその構成主体間の条約によって成立した場合のもの(ドイツ国憲法、アメリカ合衆国憲法など)。 法源論とは、法というものがどこから生じるか(法の渕源)、別言すれば「裁判官が裁判をするに当たって拠るべき準則」「権威的規準として裁判官を拘束する規範の存在形式」「裁判の権威的な正当化事由として用いられる規範の存在形式」いう意味である。法文化や時代の違いによって、法源は変わる。日本人は法源というとすぐに成文法、特に国家の制定法を思い浮かべるが、これは、日本が近代的な大陸法の法文化を享受しているからである。しかし、英米法系諸国においては、いまだに判例が主たる法源であると考えられているのである。また、歴史上は日本においても慣習法が主な位置を占め、成文法は補助的役割であった。鎌倉時代に成立した貞永式目(御成敗式目)はその例であって、武士社会の慣習法や先例を成文化したものである。 日本国の憲法の成文法源は、第一に憲法典(日本国憲法という文書)である。しかし、実質的な意味の憲法の箇所で述べたとおり、憲法法源は憲法典に尽きるわけではない。皇室典範、皇室経済法、国事行為の臨時代行に関する法律、国会法、公職選挙法、政治資金規正法、政党助成法、内閣法、国家行政組織法、裁判所法、最高裁判所裁判官国民審査法、裁判官弾劾法、裁判官分限法、地方自治法、国旗国歌法、元号法、国民の祝日に関する法律、などの法律も憲法法源である。衆議院規則、参議院規則、最高裁判所規則などの自律的規範も憲法法源となる。また、日本国の領土を画定する国際条約(樺太・千島交換条約や日本国との平和条約)も、憲法法源となる。 なお、皇室典範は、明治憲法体制においては、大日本帝国憲法と同位の法源であると考えられていたが、現在では法律と同位と考えられている。明治憲法体制においては、天皇が皇室の家法として皇室典範を制定していたのに対し(皇室自律主義)、日本国憲法においては、「国会の議決」によって制定されることとなったからである(日本国憲法2条)。条約については争いがあるが、一般的には憲法と法律の中間位の序列を有すると考えられている。 憲法典の存在する国家において、慣習法が憲法法源となりうるかに関しては議論がある。これを議論するには、慣習法を、1.憲法の欠缺を埋めるもの(extra constitutionem)、2.憲法の規定を具体化するもの(intra constitutionem)、3.憲法の規定に反するもの(contra constitutionem)の三種に分けなければならない。このうち、1.と2.については、憲法法源となりうるとして何の問題もない。問題は3.の反憲法的慣習法である。なぜ問題となるかというと、これは正規の憲法改正手続を潜脱するからである。この問題に関して、学説は対立している。 成文法源は、慣習法と異なり、明確であり安定的であるという特長を有するが、そのために、歴史の変遷による事情の変更に、当然についていくわけではないという短所を有する。このため、成文法源については、法規範と現実の間隙を埋める作業が必要となる。それには、解釈と改正の二つの手法がある。解釈は、裁判官その他の法律家が、拡大解釈・縮小解釈・反対解釈・類推解釈などの方法を用いることにより、成文法源の意味内容を実質的に変更して、成文法源を現実に適合させることである。これに対し、改正は、改正されるべき法源の制定手続を経ること(つまり、アクトゥス・コントラーリウス(actus contrarius)を制定すること)によって、旧い法源を改廃することである。 解釈は、事案の内容に適した形で臨機応変に行えるという長所を有するが、民主的正統性に問題がある。これに対し、改正は、正規の手続を経るために民主的正統性を完備するが、複雑な手続を必要とするために迂遠である(そのため、改正が必要でも抛っておかれることが多い。このため、解釈が必要となる)。 憲法に解釈が必要なのは、時代の要請に応えるためという理由のほか、憲法の欠缺を埋め、また、憲法の規定を事案に沿って具体化するという理由からである。 一般に、法の解釈においては、次の四つの解釈原理が認められている。 憲法には先に述べられている通り、硬性憲法と軟性憲法がある。硬性憲法は普通の法律より改正手順をより厳しくしている憲法で、軟性憲法は憲法を普通と同じように扱い改正に特別な手順を必要としない憲法である。対して、イギリスの憲法は軟性憲法といわれている。元々過去の章典(権利章典など)や慣習法を憲法とするイギリスは成文憲法がなく、改正すべき憲法が無い、という説もある。 憲法の改正は、時代に対応して行われており、環境権、プライバシー、知る権利等、新しく生まれた概念が盛り込まれた憲法も多い[1]。