■インディビジョン派遣
1933年当時、ドイツ国内でのラジオ受信機の市場価格は大体250マルク前後であった。宣伝大臣ゲッベルスの後押しで発売された製品「国民ラジオ (Volksempfanger)」の価格は76マルクと極めて安価であり、どれだけラジオ宣伝の重要性を認識していたかが伺われる。 日本では1925年のラジオ局発足後、太平洋戦争敗北に伴う改組まで、唯一の放送局だった東京放送局(現在のNHK)は政府の宣伝機関であった。大本営発表を受けた、戦意高揚目的の虚偽発表は864回にのぼる[7]。 第二次世界大戦開戦後、ドイツはベルリンからアイルランド人のホーホー卿が対英宣伝放送を担当し、枢軸サリーと呼ばれるアメリカ女性が対米宣伝放送で活躍した。また日本も英語に堪能な女性パーソナリティ、通称:東京ローズを起用し、太平洋戦域のアメリカ軍兵士向けに宣伝放送を行った。戦後彼らは共に反逆罪に問われた。その後の戦争でも朝鮮戦争でのソウルシティ・スー、ベトナム戦争でのハノイ・ハンナなどのプロパガンダパーソナリティが活躍した。 ソ連では第二次世界大戦中から国外への対外宣伝を行う機関としてドイツ語や日本語によるロシアの声(モスクワ放送)と呼ばれる積極的な対外放送を行った。また、アメリカもボイス・オブ・アメリカやラジオ・フリー・ヨーロッパ、ラジオ・フリー・アジアによる対外放送を行っている。 近年は頻度が減ったが、朝鮮半島の軍事境界線を挟んで、複数スタックさせた高出力の拡声器を使用した宣伝放送が相互に行なわれていた(拡声器放送)。 アラビア海に展開するアメリカ海軍の舟艇を慰問するアメリカの女優、パメラ・アンダーソンソ連ではレーニンの「すべての芸術の中で、もっとも重要なものは映画である」との考えのもと、世界で最初の国立映画学校がつくられ、共産主義プロパガンダ映画の技法としてモンタージュ理論が発明された。特にエイゼンシュテインの作品がその代表である。1920年代のソ連映画は当時としては非常に革新的であり、ダグラス・フェアバンクスなどのハリウッドの名士、後のナチスの宣伝相ゲッベルスを絶賛させている。また、この頃のソ連では、宣伝映画を地方上映できるよう、移動可能な映写設備として映画館を備えた列車・船舶航空機を製造・活用している(例:マクシム・ゴーリキー号など)。編集することで対象を操作しようとしたモンタージュ理論は現代の映画にも生かされている。 アメリカ・ハリウッドの娯楽映画についても、結果的にプロパガンダ作品ではないかとする意見がある。例えば、第二次世界大戦初期の『カサブランカ』は実際にプロパガンダ作品として撮影され、終結直後の『サウンド・オブ・ミュージック』は反ナチ、近年の『デルタ・フォース』、『パールハーバー』や、『ブラックホーク・ダウン』、アメリカ同時多発テロ事件を基にした『ワールド・トレード・センター』などの数々の作品などは合衆国政府の政策に迎合した映画であると考えている人もいる。また、CIAがハリウッドに工作活動を行い、世論操作の映画を作らせているとみなす者もいるが、明確な証拠はなく、憶測の域を脱していない。 ドイツのナチス政権は絵画、音楽など古いメディアだけでなく、新しいメディアである映画も重視した。映画産業を積極的に支援し、ナチス時代には1100本にのぼる映画が制作された。[8] 満州国では満州映画協会により日満友好の国策宣伝映画が数多く製作され、日本や満州などで上映された。人気女優李香蘭は中国語が堪能な日本人であったが、中国人女優、また歌手として絶大な人気を集めた。また、同盟国である日本とドイツの友好関係を醸成するために、日独共同で「新しき土」などの映画が制作されている。 日本では1939年に国策に則った映画を製作させる映画法が制定されている。 俳優や女優は大衆にとって親しみやすい対象であるため、彼らへの好感を彼らが支持している対象への好感にすり替えることができる。現在もイラク戦争においてアメリカが使う手段として、キャンペーンやアピールに俳優や女優を起用したり、彼らを戦地へ慰問させ、士気を高める手法などがある。 建国から15年ほど経った北朝鮮において、映画等娯楽産業の宣伝効果を知り所轄ポストの席を狙った金正日と朝鮮労働党甲山派との間で党内抗争が起こった。詳細は、甲山派#北朝鮮国内文化事業を巡る金正日との闘争を参照の事。 プロパガンダを目的としモバイルSEO や軍が映画を直接製作したり、積極的に協力していることがある。 言論統制により新聞や書籍でもプロパガンダ的手法がとられる場合がある。第二次世界大戦中の日本の朝日新聞やイギリスのタイムズ紙などが行った例では、記事の構成や社説などを操作し、対象への印象を悪化させたり、好ましい印象を与えたりする。また、国家が書籍を検閲し、発禁処分等を行うことで反対意見を封殺することもある。ナチス政権下のドイツの焚書や中華人民共和国の中国共産党によるウィキペディアへの接続規制が代表的である。 内外を問わず白書、各種政党機関紙や団体の宣伝冊子、国営新聞や政党新聞は立場上、その政党に偏った報道を行うが、民間の新聞でもその新聞社の思想的背景や、資金源、または個人的信条からプロパガンダとなる報道を行うこともある。アメリカでは新聞社も、立場が保守系とリベラルに明確に分かれ、またそれが当然視されている。 合成写真と言われているレーニンとスターリンが並ぶ写真(1922年)1920年代に実用的な小型カメラが開発されたことから報道写真が急速に発展した。これに対応し政治家や独裁者の報道写真が新聞や雑誌、ポスターに使われるのみならず、肖像写真が出回ることになる。 例として、イタリアのファシストSEO のベニート・ムッソリーニは、自らのサイン入りのブロマイドを全国にばらまいた他、中華人民共和国やソビエト連邦、北朝鮮などの一党独裁制の共産主義国家を中心に、独裁者の正統性や権威を高めるために合成写真が作られたり、逆に失脚した有力者を集合写真から削除することすら行われた。 また、報道写真の発展に伴い、フォトモンタージュなど多くの撮影、編集技法や利用法が生み出される。多くの民間写真雑誌が創刊されたが、国家や軍などもその宣伝効果に着目し、機関誌や国策会社からの出版という形で世界中で創刊された。これら国策で出版された雑誌は、採算を度外視して資材や人員を投入したため、非常に完成度が高いものが多い。しかし第二次世界大戦後、テレビの普及により徐々に衰退する。 公共性や価値が高く、極めて広く流通するため、支配権の誇示に用いられる。貨幣や硬貨に国家指導者の肖像が刻まれることが多い。また、イギリスでは切手に女王の横顔のシルエットが入れられている。 会場の規模や装飾などの豪華さ・贅沢さ。または逆に貧弱なものを見せつけ、横浜 マンション の味方であるように装う。 デモ・集会に支持者を大量に動員し、如何にも多数の支持を集めているかのようにメディアで演出する。逆に反対者は少数しか集まらなかったように見せる。公表される参加者数は「警察発表」と「主催者発表」で大幅に異なるのが通例である。 式典における演説や部隊の行進、マスゲームなどの一糸乱れぬ団結力の誇示。 記念日制定や運動週間(旬間・月間)など宣伝活動の実施。 国際的なスポーツ大会での国威発揚(特にオリンピック)。 敵対国での運動を支援し、自勢力に有利な状況を作り出す。 街頭のポスターや看板を、色や図柄で埋め尽くし強い印象を与える。 ポスターや看板を大量に設置することで、その勢力を大きく見せる。 キャッチコピーに、強い口調・表現を用いる。 戦時の日本では、国家の統制管理下に芸術家らをおき、政府直轄の芸術家協会(報国会)に所属させ表現を利用した。反体制主義の芸術家は投獄、協会へ所属しない者は即徴兵とされた。台湾での実話を基にした「サヨンの鐘」など愛国美談として語られ製作されたものもある。 ナチス・ドイツでは、抽象画やモダンアート、アバンギャルド芸術を「退廃芸術」と称し、かつて美術館が買い入れた作品を集め、「退廃芸術展」という美術展を各地で開催した。作品は粗末に扱われ、罵倒に満ちた解説と、国による購入価格も並べて展示された。退廃芸術展の総入場者数は300万人を超え、史上最大の観客数を集めた美術展となった。また、音楽分野でも「退廃音楽展」が開かれている。 一方でナチス・ドイツが奨励する芸術を集めた「大ドイツ芸術展」も開かれている。しかし、当初美術界側が選定した作品にはナチスにとっての「退廃芸術」が多く、再選定のため開催が一年遅れている。 古代から芸術家は権力者から庇護を受けることで芸術活動を行い、作品が後世に残される可能性が高まる。現在、名作とされる作品にも権力者の依頼により製作されたものが多くあり、その権力者を礼賛する為に制作された作品も少なくない。近代以降、芸術の大衆化により芸術家は必ずしも権力者から庇護を受ける必要はなくなったが、商業上の成功を目的として作家みずからが大衆の求めに応じる形で意図せずプロパガンダを助長する作品を製作する例も多い。また、権力や時流により不本意ながら体制を称える作品を製作せざるを得なかった芸術家もいた。逆に体制に便乗して、多少の不満は抑えて自分の才能を積極的に売り込むことを意図した芸術家もいた。 また、ロシア・アヴァンギャルド運動やプロレタリア文学のように、芸術の表現により政治的な変革を目指すといったプロパガンダと不可分な芸術活動も存在する。 一方でこうした芸術家は、プロパガンダに協力したということで、後に不当に低い芸術的評価を受けることもある。